0. 30日に帰国します。
(1)VJCCのフェーズ2は8月末で終わります。9月からは、10年間のVJCC事業の実績を活かして、4年間の協力を新たに始めます。
(2)ビジネスコース、特に「経営塾」を中心に2010年の工業国化を担う高度ビジネス人材の育成に集中します。これは3月19日に「所長のメッセージ」を始めたときにもお知らせしたとおりです。
(3)さて、私も8月30日に帰国します。この間、3年10カ月。楽しい思い出がつまったJICA人生の最高の時期でした。そして、この8月には「集大成」ともいえる、いくつかのイベントがありました。今日は、「小樋山所長のメッセージ」の最終回として、お知らせします。
1. 「しっかり、日本語で簿記を勉強しなさい」
(1)10日、9時半。貿易大学の11階の教室で、奇妙な光景が……。学長が33名の学生の前で、訓話をします。「しっかり、日本語で簿記を勉強しなさい」。コースが始まる時に開講式があるのも、学長が訓話をするのも、ありえないことですね。
(2)何回かご紹介したベトナム簿記普及推進協議会の大武理事長と学長が開講式の挨拶します。そして学生が学長から突然のご指名を受け、堂々と「決意表明」をします。
(3)ようやく始まった貿易大学での正規の日本語簿記コースの開講式のことでした。
(4)その夜、日本商工会の幹部などをお呼びした記念パーティーには坂場大使もご出席され、「大武理事長の夢も実現されましたね」と労いました。潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の東遊運動に感銘し、日本政府の「借り」を返すつもりで始めた活動も、一つの区切りとなりました。
(5)VJCCは常に大武理事長の活動を支援し、ともに歩いてきました。日系企業の方々にも「日本語で簿記ができる人材」の存在と魅力を分かっていただきつつあります。VJCCにとっても一つの区切りとなりました。
2. ベトナム人学生との差が広がっている……
(1)日本語簿記コース開講式の前後に、日越学生会議の恒例のセミナーが行われていました。「ODA」「貿易」「伝統芸術」「旅行」「晩婚」。一つの課題を半日かけて、日本とベトナムの学生が議論します。プレゼン資料も議論も当然、日本語のみです。
(2)そして、12日には日越学生会議の「生みの親」白石昌也先生を交えて懇親会がありました。ジェトロの守部所長をはじめ、マスコミ、日系企業の代表者も参加します。
(3)4年目となる今年は、昨年と比べさらにパワーアップしたといってもいいでしょう。しかし。ベトナム側のパワーと日本側のそれを比べると……。日本人学生にもそれは分かっています。4年間支援してきた私がいただいた寄せ書きのなかには日本人学生の「来年こそ、ベトナムに追いつくぞ!」という言葉がありました。
(4)日本側初代会長坪井君、2代目山田君も駆けつけてくれ、「OBが逃げずに、がんばって支援します」と誓ってくれました。これも一つの区切りでした。
3. 経営塾は「ケイエイジュク ノ ウタ」で終わる
(1)昨年の9月から1年間続いてきた経営塾も、20日に閉講式を迎えました。貿易大学チャウ学長と築野JICA所長から修了証書を渡される16人の顔は緊張しています。次いで、坂場大使からは記念品が贈られます。
(2)毎月1週間は完全な「缶詰」となる経営者。それが11回続く。講義の間をぬって携帯で指示する経営者。知識よりも、自分で考え、自分で行動することを重視する、日本型の「塾」。
(3)この1年間の思いが「経営塾の歌」に現れます。日本研修の間の自由時間を利用して「作曲」したです。日本語とベトナム語が混ざった、日越交流の「象徴」といってもいいでしょう。
(4)そして、「経営塾クラブ」の設立が宣言されます。経営塾で得たものを活用し、企業の力を高め、その成果を他のベトナム企業に伝え、日本的経営のよさを分かってもらうための「拠点」でもあります。
(5)2020年に工業国化を目指すベトナムの原動力は私たちだ! という熱いメッセージが聞こえてくる閉講式でした。これも一つの区切りです。
4. 厳しい時代を支えたVJCC
(1)21日、22日はホイアン祭りに参加しました。第1回が行われたのは、日越外交関係樹立30周年記念の2003年のことでした。その後、限られた力でVJCCが祭りを支えた時代がありました。
(2)08年は35周年記念にあたり、オールジャパンで取り組もうという動きがありましたが、結果としては大きなものとはなりませんでした。しかし、09年。松田さんという日越議員連盟の幹部が全力で取り組んでいただいたのが09年でした。
(3)もちろん、そのような環境を作っていただいた功労者は坂場大使です。VJCCだけではなく、むしろ国際交流基金や大使館などが主導して、日本の関係する自治体や団体の力を得て本当の「オールジャパン」の祭りとしようと頑張られました。
(4)21日の開会式ではザン市長やバイ副市長から、VJCCが苦しい時代を支えてくれたからこそ、今日の祭りがあると評価頂きました。一つのくぎりといえます。
5. スピーチコンテストはやっぱり、VJCCだ
(1)24日に「北澤カップ」が行われました。4回目となるスピーチコンテストで、優秀者3人には、日本招待が待っています。学生情報センター(NASIC)の北澤理事長がベトナムの学生に惚れ込んだからこそ実現したイベントです。
(2)最初の2回はハノイ大学。続く2回は貿易大学が主催で行われました。会場はもちろん、VJCCです。今回はタンロン大学1年生が優秀者の一人に選ばれる「サプライズ」がありました。審査員2人からは、本当に1年生? とか、高校時代に勉強してたでしょう、とかの質問が飛びました。でも、1年間しか勉強していない学生だったのです。
(3)さて、毎年レベルがあがり、来年はどうするか。ベトナムに傾倒している北澤理事長も悩みます。それでも、大学の垣根を越えて学生が集まれるのはVJCCしかいないと思っていただいているようです。個別大学にこだわらず、ベトナム人学生の育成を本気で考えているVJCCのことをご理解いただいているからです。
(4)ある見方をすれば、「北澤カップ」とVJCCが行ってきた日本語フェスティバルは競合するスピーチコンテストなのでしょう。しかし、ベトナム人学生のためを考えるのであれば、大同小異なのです。日本語学習者の支援が大きく羽ばたく。これも、一つの区切りかもしれません。
6. 日越の大学をつなぐのはVJCC
(1)27日、貿易大学50周年、中央大学125周年記念のシンポジウムがありました。裾野産業育成に関するものです。
(2)中央大学の高橋先生が貿易大学に「入れ込んだ」のは2004年からです。ご自分の経営学のご本をベトナム語に訳し、学生には日本語で講義をする。こういう活動を地道に積み上げてこられました。
(3)日本語を学ぶベトナム人学生にとって、日本語で経営学を学ぶ機会などありません。その実現のために背中を押した中央大学永井総長は、共同シンポジウムを計画されました。そのかたわら、大学間協定も実現させました。
(4)そして、今回のシンポジウムにつながるのです。VJCCは高橋先生の活動を側面からしっかりと支え、大学間協定にも多少のお手伝いをしました。これも、一つの区切りかもしれません。